2005年右乳房全摘、局所再発・多発肝転移・多発骨転移・胸膜播種転移治療日記。

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脳転移
 


脳MRIを撮ったらしこりが見つかった。

それはガンマナイフ治療適応外の大きさだった。

脳の手術をする予定。



怖いな。    (・e・)



初鳴き
 


最低限のことしかできないけれど、生きている。


そのことに感謝したい。



視覚異常を自覚するようになって、1週間になる。
今もまだ改善されない。
歩いていてもフワフワしている感じで、視界もぼける。
そして突然、目の前がグルグルして危険を感じその場に立ち止まる。
出かけるとたいていこんな症状が出る。

だから最近は家にこもっている毎日。
家にいても目がまわるような感覚は同じようにあるから、横になって休んでいることが多い。
頭痛も継続してあり、肩こりや首筋のこりも酷い。
常に感じる頭痛もお風呂に入る前には激痛となる日が続き、今日もお風呂の時間が怖い。

急にどうしちゃったんだろう?と不安な日が続く。
フェマーラの副作用だとしたら、どうして今頃?
目の手術の後遺症?
もしかしたら・・脳転移?

不安の原因を探しては憂鬱な毎日を過ごしている。

相変わらず厳しい残暑が続いているけれど、昼間ふと気がつけは、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえてくる。
日が落ちてからも懸命に鳴いていたアブラゼミの声も、今はもう聞こえない。
代わりに、夜のベランダからは秋の虫の音がきこえてくる。
昨日はコオロギの初鳴きを観測したと気象予報士が言っていた。
今年も、秋がめぐってきた。     


命あるかぎり、精一杯生きようと思う。    (・e・)



PS.コメント下さる皆さん

皆さんのコメントにとても勇気づけられています。
ありがとうございます。
今は長時間パソコンの前に座ることも困難で、タイプミスも多くて・・
お一人お一人にコメントを差し上げたいのですが、ままなりません。
ごめんなさい。

ゾメタ39回目
 


今日はゾメタ39回目の点滴治療の日だった。


血液検査・RI検査の結果も聞いてきた。



ゾメタの点滴では、「ケモお休み中なので・・ポートからの点滴久しぶりですよね?上手く落ちるかな」とナースが言うので、心配になった。
刺針してもすぐに点滴が流れず、「やっぱりだめか・・」と呟くナースの声を聞き、こんな事は初めてだったので、こちらまで緊張してきた。
ポートの周りを何度も押されるような感覚がして益々不安になったが、そうこうしているうちにナースが「あっ、落ちた!良かった!」と言い、スムーズに点滴が流れ始めたので、ホッとした。
看護師さん、ありがとう。

血液検査は腫瘍マーカーCA15−3以外は、ほぼ正常値で安定している。
ただ、このマーカーだけが、順調に右肩上がりに上昇している。
フェマーラの服用を始めて約2ヶ月、マーカー測定の日は服用後約1ヶ月半。
「もう少し様子を見ましょう」
と言う主治医に納得してフェマーラ継続となった。

RI検査結果は増悪だった。

最近、目の調子が良くない。
とても目が疲れる。
術後の点眼薬は、欠かさず続けているのに・・
焦点がぼやける感じ。
視力もとても落ちているように思う。
先日、スーパーで買い物をしていたら、軽いめまいを感じた。
頭痛も続いている。



来週、脳のMRI検査をすることになった。   (・e・)




逆Uターン
 


お盆前に帰省した息子が東京へ帰る日が来た。


夫が「送って行く」と言い出した。


お盆に帰省しない娘に会いたい気持ちもあったのだろう。
夏休みを利用して温泉にでも出かけようか・・と話していたのどけれど、結局彼らの部屋で泊まる旅となった。
14日の夜明け前に自宅を出発して、東名高速道路を3時間半ほど走り、東京に着いた。
息子を送りがてら部屋を訪ねることを事前に娘には伝えておいたけれど、玄関チャイムを鳴らした時、娘はビックリしてとび起きた様子だった。

夫にとっては3月の引越し以来の上京で、彼らの生活の様子が想像から現実のものとなって自分の目で確かめることができる機会となった。
「まあ、想定内だな」
自炊をしている形跡はなく、部屋は散らかり、相変わらずの生活ぶりだった。

夫の提案で4人揃って出かけることになり、浅草・上野方面へ出かけた。
子供たちが幼かった頃、毎年夏休みには2・3泊の旅行を続けてきたけれど、彼らが中学生になった頃から夫婦二人だけの旅になっていた。
皆で観光するなんて・・何年ぶりだろうか?
私が乳がんに罹患してからは初めてのことだった。






尋常でない暑さが身体に堪え、いつも最後尾をノロノロついて行く母だったけれど、そんな母を気遣い、時々後ろを振り返り立ち止まって待っていてくれる家族に支えられ、もう2度と無いかもしれない家族揃っての都内観光を楽しんだ。


16日、世間のUターンとは逆走して帰宅した。  (・e・)



父の再発
 


父の胃がんが再発した。


眼科のOPの日に入院したと連絡があった。



父は81歳。
昨年6月、胃がんが見つかり手術をした。
かなり進行した状態だったけれど、リンパ節転移もなかったため、術後は無治療で経過観察をしていた。
術後6ヶ月の検査では異常はなかったという。
術後1年の検査はどうだったのかは聞いていない。
というより、術後1年の検査をしたのかどうかも確認していない。

最近、食事ができない日が続き、検査をして再発が発覚した。
すい臓とリンパ節に転移しているとDrの説明があった。
転移した腫瘍が胆管を圧迫しているため胆汁がうまく流れないのだそうだ。
この胆汁を人工的に体外に出す処置が必要ということで、PTCD (経皮経肝胆管ドレナージ)という処置をしていただいた。

病院のベッドに横たわるやせ細った父を見舞うのも辛い。
耳も遠く目もよく見えず、会話という会話もできない。
今の父は、何のために治療して、何のために生きるのか、たぶんもう自分でも判断ができないのだと思う。
もろもろの延命治療がはたして父の幸せに繋がるのかどうか、私にもわからない。
そうかといって積極的治療をしないという選択も父を見殺しにするような気持ちになる。
実家を出て嫁いでいる私が口を挟むようなことではないのだけれど・・・







がん患者でありながら、がん患者の家族でもあり、考えさせられる。   (・e・)




外来OP
 

昨日は眼科の外来OPだった。
 
霰粒腫の摘出手術も無事終わった。 


今日は眼科の診察、外科の診察・血液検査・RI検査があった。
片目では院内の移動も危なっかしい。
術後の右目はまだ少し腫れていて、瞼が開かず、点眼薬もうまくさせない。

詳しくは、また後日。     (・e・)


霰粒腫
 

霰粒腫(さんりゅうしゅ)

 霰粒腫とは、まぶたのマイボーム腺という涙液の蒸発を防ぐ働きをしている脂を分泌している腺に慢性的に炎症がおきて、肉芽腫と呼ばれるしこりができた状態です。症状としては異物感や、感染を伴って急激に腫れが起こる場合では充血や痛みを伴うこともあります。
 点眼麻酔をし、まぶたの皮膚を消毒し洗眼します。続いてまぶたに注射で麻酔をします。機械でまぶたをはさみ、まぶたの裏側もしくは表側よりメスで切開し、霰粒腫を包んでいる袋ごと摘出して手術終了となります。術後しばらく止血のために圧迫を行います。麻酔薬によるアレルギー症状(ショックなど)の際には迅速に対応します。
 まれに再発することもあり、その際には再手術をすることがあります。


「右目 霰粒腫摘出術」の同意書の説明にはこう書いてあった。


昨日、眼科を受診した。
最近疲れ目が酷くなっていて、その原因かなと思われる以前からできていた下まぶたのできものを診ていただいた。
自分では、前にもマイボーム腺が詰まって切開して脂を絞り出したから、きっと今度も同じ処置だろうと思い受診した。
ただ、今回のできものは前にできたものと比べるとかなり大きく、絞り出すときの痛みを想像すると憂鬱になり、何とか自然治癒しないものか・・とぐずぐずして受診をためらっていた自分を反省する。

「以前のものとは別のものです」
診察して下さった眼科医は難しそうな顔をして言った。
この場の処置で治療は不可能で摘出手術を勧められ、予想外の診断に頭は真っ白だったけれど、何とか手術の予約をして昨日の診察は終わった。

眼科の待合は高齢者であふれていて、眼科の受付を済ませてから2時間以上待ち、ようやく診察と思ったら手術が必要と告げられ、手術のための採血をして、会計を終えた頃はもうぐったりしてしまった。乳がんの治療だけでも精神的にぎりぎりなのに、また新たな病気を告げられ、昨日はちょっとパニックだった。




来週、摘出術をする予定になった。
来週は腫瘍マーカーの検査・RI検査もある。
そして・・息子が帰省する。



嬉しいはずなのに・・何だか憂鬱。           (・e・)