2005年右乳房全摘、局所再発・多発肝転移・多発骨転移・胸膜播種転移治療日記。

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ケモ キャンセル
 


昨日はタキソテール投与の予定日だった。


白血球4400 でも、キャンセルした。



治療に・・ちょっと疲れちゃったかも。

タキソテールの治療を始めて約一年。
当初200を超えていた腫瘍マーカーも一度は基準値まで下がった。
肝転移巣も、まだまだ大きな影は消えないけれど、ピーク時よりは縮小した。

「今の薬が効いているうちは同じ治療を続ける」というのが、再発治療のセオリーだということも理解できる。
それに、既に数種類の薬を使ってしまっている自分には、もう残された薬の選択肢が少ないことも理解している。
だから今回も投与量をレジメン通りに戻して、また継続して治療する予定だった。

でも、やっぱり、ちょっと疲れてしまった。
増悪のリスクは十分承知してでも、今は少し休みたい。

主治医はそんな気持ちを理解してくれた。
過去に1ヶ月ほど処方されたフェマーラを、再び処方していただいた。
もう、この先ホルモン治療のできる時は来ないかもしれない・・と思うから、今しかない。


自らを傷めて自ら生き延びる・・そんな葛藤の毎日に疲れている。   (・e・)


再会
 


今朝、少し薄暗いキッチンの窓を開けると、しめっぽいけれどひんやりとした新鮮な風が、スーッと吹きぬけ眠っていた部屋の空気を一気に目覚めさせてくれる。
続いて南の窓も開け放つと、ふわーっとカーテンを揺らすほど風が入ってくる。
こんな梅雨の晴れ間の朝は気持ちいい。

洗濯物を干しにベランダに出る。
ウィッグをつけない頭は軽やかで、地肌で風を感じられ、本当に気持ちがいい。
今も不自然な自分の髪に、何だかため息が出る。

最近の私は・・もし、私が自分の母だとしたら、ちょっと哀しいような気持ちになる。
そんな生活ぶりが続いている。
二人の子供が家を離れてしまった後の毎日は、予想以上に寂しい。
なかなか子離れできなくて情けない。

日々変化する腰痛や今日も続いている下痢やら、体調はあまりよくないけれど、一度子供たちの顔を見てこようと思う。
もしかしたら自分が少し変われるかもしれない。
引越し以来だから、3ヶ月ぶりの再会になる。




                 ほったらかしのベランダに咲くダールベルグデージー



ワクチン注射を済ませたら、出かけよう!  (・e・)





静かな笑顔
 


先月末の腰痛以来、気持ちが塞いでいた。


一旦は治ったかな・・と思われた腰の痛みは、その後も一進一退を繰り返し、骨転移増悪の不安が拭いきれずにいた。
順調なはずの治療にも自信がなくなり、毎日何も手につかない日が続いていた。

朝、起きた瞬間から憂鬱になり、たっぷりある自分の時間も、ただ無駄に過ごし、眠れない夜を迎える・・そんな毎日だった。

楽しみにしていた造影CT結果も縮小という評価はなく、マーカーばかりが上がり、タキソテールの休薬という選択肢はあるはずもなく、もしかしたら、もうタキソテールも使えないのかもしれない・・と思ったら、ちょっとパニックだった。
昨日は腰痛がいつもに増して酷く、原因不明の下痢にも悩まされ、不安な気持ちにさらに追い討ちがかかった。

4年前のような、あの苦しい時間をまた生きるのか。
あの暗くて長い・・出口のないトンネルを彷徨うのは、もう嫌だ。
限りある命だからこそ大切に生きなくては、と思う。

今朝、娘からメールがあった。
“お誕生日 おめでとう 暑いから体に気をつけてね”
息子からもメールが入る。
ブログを介して出会ったお友達も、おめでとうの言葉を届けてくれる。
元職場の同僚からはメッセージカードとCDが届いた。
♪名前も知らない人とどこかでつながっている・・さあ、その顔を上げて未来へと歩いて行くんだ そう手と手をつなげば 新しい扉が開くよ♪







今日を機会に、
うつむいていた顔を上げて、静かな笑顔で、今を生きたい。 (・e・)



造影CT・腫瘍マーカー検査結果
 


造影CTは著変なし。

腫瘍マーカーCA15−3は、基準値を超えて上昇。


一年かけて基準値まで下がったマーカーも、また勢いよく上がり始めている。
ドセタキセルにも、いよいよ耐性ができてしまったということか・・


再発治療は、心も体も、苦しい。    (・e・)



ブルーな気持ち
 


昨日は久しぶりに出かけた。


同時期に乳がんに罹り温存手術したお友達に誘われ、一緒に食事をした。





一年ぶりくらいの再会だっただろうか。
彼女は術後のホルモン療法も終わり、再発もなく、今は無治療だと言う。
元気そうに話をする彼女はとてもイキイキとしていた。





臨時採用で働いているという職場の話や自分の家族の話など、彼女からの話題は尽きない。
私はというと、昨日は朝から首の痛みも加わり、腰痛やら首の痛みやらで、会話に集中できなかった。
ただ、職場というものを持たない自分には、今の彼女はとても羨ましく、何よりも再発もなく無治療でいることが羨ましかった。


まだ・・自分の人生を愛することができない。





痛みや天気のせいで、この数日間、気持ちが沈んでいる。
先日の造影CT検査以来、戻りかけていた味覚がまた逆戻りしてしまい、せっかくの食事も美味しくなかった。


こんなに気持ちがブルーなのは、痛みやお天気のせいだけだろうか?  (・e・)



整形外科
 


今日は整形外科を受診した。


先日の腰痛後の経過観察ということで、X線撮影があった。



CTと同様に、X線の画像でも痛みが想定されるような骨の病変は見られないこと。しいて言えば椎間板が若干ヘタレているが、痛みを引き起こす程ではないらしい。
それならばこの痛みの原因は何なんだろうか?
「今後、痛みが増してくるようであればまた受診して下さい」
と言われ、以後の診察予約はなかった。

転移があるのだから、何らかの痛みがあっても不思議なことではない、とDrたちも口をそろえたようにおっしゃる。
がん性の疼痛なのだろうか。
痛みはQOLを下げる。
鎮痛剤は痛みの根本的な解決にはならないけれど、痛みを忘れる時間を過ごすには、鎮痛剤に頼るほかない。
しばらくはロキソニンを飲んで、現状維持ができるように気をつけたい。

治療を続けていても、こんな風に少しずつ少しずつ体に不具合が生じてくるのかな〜と思うと、やりきれない。


がんとの共存も、口で言うほど容易くない。  (・e・)

造影CT・血液検査
 


前回の化学療法から2週間経った。


今日は3ヶ月ぶりのCTと腫瘍マーカーを含めた血液検査だった。


いつも造影剤が入る前に一度単純CTを撮るのだけれど、今日は3回も撮影された。
検査が終わってから、3回も撮影した理由を尋ねると
「位置決めの調整のためです」
技師さんがそう答えてくださった。

いつも1回で調整できているのに3回というのは・・多すぎるんじゃない?
と思ったけれど、済んでしまったことを言っても仕方が無いのでとりあえず納得した。
ただでさえ不安な検査なのに、いつもと違うことがあると、患者はさらに不安になる。
そんな時は丁寧な説明があれば、素直に受け入れられるのに、と思う。

ここ数日間のしつこい腰痛が気になっていたので、CT検査後に放射線科を受診した。
痛みの経過を伝え、さっそく今日のCT画像を確認していただいた。
・・特に痛いと指摘される骨に増悪はなく、全体としてゾメタによる骨硬化がみられ、治療としては十分効果がでていること。ただ、胸椎にある一番大きな転移は椎間板まで食い込んでいるようなので、注意が必要なこと。今すぐ放射線治療の必要はないこと。
そんな所見だった。

腰痛が始まってからの不安を払拭することができ、ほっとした。
骨転移の増悪だとしたら・・と考えると、その後の治療がイメージできずにいた。
もう、ダメなのかな?
そんな気持ちの2週間だった。
でも今日、放射線科を受診して良かった。
まだまだ、がんばれる!ゾメタの治療も続けられる!タキソテールも続けられる?
マーカー値次第かな。



今日の白血球2700。ん〜、微妙。         (・e・)




孤独もわるくない
 


「孤独な時間は人を成長させる」のだそうです。





人は孤独な時こそ悩み、苦しみ、寂寥感にとらわれ、それらを乗り越えるために懸命に考える。孤独なしに、考えるという「心の習慣」は身につかない・・のだそうです。

闘病している孤独な時間は、それを乗り越えるために与えられた時間なのかもしれない。
病を味方につけて、納得した人生を生きるために自己を見つめなおし新たな気づきを得る。
こんな風に表現すると、とても難しそうだけれど、自分の人生を生きることが大切だと思う。

人は誰も独りで生まれ独りで逝く。
自分以外の人(家族・友人・仲間・・)と関わりを持ちながら人生を生きる。
でも、時々自分以外の人の人生が羨ましかったりする。
自分に無いものを持っていることばかり目に付いてしまうから。

「僕は君が羨ましいよ。病気であることは別として、自分の自由になる時間がいっぱいあって、羨ましい」
日々、仕事に追われている夫が言う。
ないことを嘆くより、あることに感謝しようと思った。
孤独と感じる心は自分の中にある。
自分を見つめ、心の声を聞きながら、あるがままの自分を受け入れて、あるがままの自分を愛したい。




                          庭に咲く墨田の花火



孤独もそんなに悪くない。    (・e・)



孤独な毎日
 


今朝方降っていた雨も、陽が高くなる頃には上がり、雲の切れ間から差し込む日差しはいつの間にか力強い。


最近、何だかコミュニケーション不足だな・・と感じる。
話す相手は夫が主。
義父と少々。
家族以外では病院の看護師さん。
毎日、とても狭い人間関係で生きている。

先日、スーパーで買い物をした時、レジの女性と少しばかり会話をした。
たわいない一言二言だったけれど、新鮮だった。
心が少し弾んだ。
その感動を夫に話したら爆笑された。

闘病って孤独。
自宅と病院とスーパーを行ったり来たりの毎日。
人と関わって話をすることなんて、滅多にない。
病気について触れられたくないために、ご近所とのかかわりも避けているから、当然なのかもしれない。
自分から世間との関わりを絶っているのだから。

闘病に専念できる今の環境にとても感謝している。
でも、ちょっと辛い。
気持ちが落ち込んでくる。
抜け出したい。



                        明日も晴れそうな夕焼け



自分が変わるしかない。    (・e・)


かけがえのない毎日
 


西よりの風がカラッとして心地よく、今日は素晴らしい五月晴れ。


抗がん剤の副作用と腰痛から、ようやく回復できそうな体には、もったいないほどのお天気。



原因のはっきりしない腰痛は、ほぼ回復したようだけれど、また別の部分が痛み、まだまだ不安が残る。
色々な痛みのあれこれは、抗がん剤の副作用と紙一重で、自分の体なのに良くわからない。
もう少し経過観察をすることで、はっきりしてくるのかもしれない。
来週はCT検査がある。
きっと、想像ではない現実の情報が、納得させてくれるはず。


ドセタキセルの味覚障害はなかなかしつこく、ただ美味しく食べたい、というささやかな楽しみも奪う。
吐き気が治まってくるとその反動で食欲が一気に出てくるというのに、皮肉なものだ。

昨日、夫の提案で二人バーベキューにチャレンジしてみた。
屋外・炭火・・という条件が、味覚を刺激して、少しは美味しく食べられるかもしれない、と思った。
バーベキューといっても、立派なセットがあるわけでもなく、七輪に炭を熾して金網をのせて・・というお粗末な代物。
それでもやはり風を感じながら食事をすると、美味しい。
思っていたほど食べられなかったことが残念だけれど、こんな風にのんびり食事をする時間に癒されたことに満足だった。





「ご飯が食べられるでしょ?」(だから、大丈夫)
過去に言われた3人目の主治医の言葉が思い出された。
夫に言わせると「今となっては名言だな」と笑う。
エンドレスな治療を続けていると、本当にそうだな・・と思う。
食事ができ、ぐっすり眠ることができ、適当に家事ができ、時々好きな時間を過ごすことができる、当たり前のような日常が実はとてもかけがえのない毎日なのだと、つくづく想う。


               最後のおこげご飯が一番美味しかったかも




ご飯が食べられる今を楽しみたい。     (・e・)