2005年右乳房全摘、局所再発・多発肝転移・多発骨転移・胸膜播種転移治療日記。

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もう1クール
 


いつものように名前を呼ばれ診察室に入る。


主治医の前の椅子に座る。



主治医は何も言わずひよこの顔を見る。
その目は『次の治療はどうしますか』と言っている。
「結論・・もう1クール続けます」

前回の治療から4週間経っている。
ちょうど21日のインターバル治療に該当する日が祝日であったため、結果的にいつもよりも1週間余分に休薬できている今日。
たった1週間のことだけれどその分体調も戻り身体が楽になってくる。
身体が楽になってくると治療の辛さの記憶も薄らいでくる。
『もう・・1クールだけ・・がんばろう』
と前向きになれる。

今まではとにかく腫瘍マーカーを下げたい一心で治療に絶えてきた。
6クール終了して、基準値内とまでは下がらないけれど目標だった二桁まで下がった。
その後も治療を続けるためのモチベーションを上げるためには新たな目標が欲しい。
それはやっぱり画像。
多発肝転移のCT画像で腫瘍の数や大きさを最大限縮小と評価されるためにがんばりたい。
その評価を得るために、あと何クール治療を続けたらいいのか・・誰にもわからない。

今はっきりしていることは“もう1クールTC治療をする。その後CT画像を撮る”ということだけ。




                                



来週、TC7クール目の予約が入った。
「今からの1週間・・良い体調で過ごせますね」と言う主治医。
2週間も余分な休薬のオマケつき・・・楽しまなくっちゃ!    (・e・)




冬ざれ
 


穏やかだった週末。


一人で少し遠出をして来た。





冬の海。
荒れさびれたイメージは裏切られ小春日和の海岸は意外にも賑やかだった。
駐車場近くの遊歩道では釣りを楽しむ人が大勢いた。
誰もが静かに釣り糸を垂れる。
一瞬の引きを逃すまいとじーっとその瞬間を待つ。
ちょっと羨ましかった。
好きなことに夢中になってゆっくりと時間を過ごす彼ら。
何を思って海を見つめているのだろうか?
嫌なことも辛いこともきっとこの海が全部洗い流してしまうんだろうな。
誰も彼も・・イキイキして見える。

釣り糸が垂れるその先の海原を見ると、水面がキラキラと輝きとても綺麗だった。
海ってこんなに美しかったのか・・と感動した。
そして広く碧い海を見ていると自分の存在がいかにちっぽけなことかとも思った。
そんなちっぽけな自分の悩みは全然たいしたことじゃないような気がしてきた。
海には・・かなわない。

治療の迷いがふっきれたわけじゃあないけれど、来てみてよかった。
またこんな美しい海を見るために治療をする気持ちが高まってくる。
限られた時間を少しでも自分らしく生きるための治療。
生きている喜びも感じられない延命治療ではなくて、生かされている今に感謝できる延命治療でなくてはならない。

明日はゾメタの点滴治療がある。
次回の治療をどうするのか・・タイムリミットの日。
「この血液検査結果をみて、治療を止める理由がわかりません」
「何が何でも続けることを強制するつもりもありません」
と言う主治医。
標準治療ではない今、治療の決定権はすべてひよこにゆだねられている。
「僕の方針はたたける時にたたいたほうがいいんじゃないかなぁ〜という気持ちです。あとはひよこさんご自身の気持ちです。ひよこさんが納得して治療を受けることが一番大事です」







答えを出す時が刻一刻と近づいている。     (・e・)




手探りの延命治療
 


TC6クール終了後の腫瘍マーカーCA15−3。


前回よりさらに下がっていた。


6クール目は減薬した経緯から微妙だった今回の血液検査。
半減とまでは下がらなかったけれど、横ばいでもなかった。
「次はどうしますか?」
と主治医に聞かれたけれど答えられなかった。

自宅を出るときには『しばらく休薬しよう』という気持ちで出かけても、いざ検査結果を聞いて今の治療の効果を数値で確認できると『やっぱりもうちょっとがんばろうかな』なんて気持ちが揺らぐ。

再発治療は何クールというレジメンがない。
効果があるうちは続ける・・いわゆるエンドレスが基本。
エンドレスな治療は気持ちと身体のバランスが大事。
今・・・ちょっとバランスが崩れているのかもしれない。
主治医にも指摘されたように、少し抑うつ状態にあるのかもしれない。
継続する身体の痛みがあると、がん患者でなくても軽いうつ状態になると聞いたこともある。
痛みを伴う副作用が続くと気持ちが沈むのは当たり前なのかなぁ?

「もう少し考えます」
と言って今日も診察室を出た。






手探りの延命治療はこれからも終わることなく続く。   (・e・)



共に白髪の生えるまで
 


二泊三日の思いつきの旅。






満足に歩けない自分が情けなかったけど、それはきっと抗がん剤の副作用だから・・
またきっとサクサク歩ける日が来ると信じている。






高層ビルの夜景が美しい都会のホテルも、ひなびた田舎の温泉宿も、非日常を感じるには十分すぎる。
少しの間、環境を変えて・・気分を変えて・・気力を充実させて
またいつもの今日を生きる。

たくさんの洗濯物が風に揺られている。
夫婦揃って出かけられたことに感謝して、また未来のプランに想いを巡らせる。
気つけば、今ではもう聞かれなくなった“フルムーン・グリーンパス”対象の私たち。



許されるなら共に白髪の生えるまで・・命を繋ぎたい。   (・e・)


mind charge
 


疲れた体をリフレッシュするために、五感を刺激する。


非日常的な場に身をおいて気分転換。



少し東へ遠出している。
夜明け前に自宅を出て高速道路を走る。
雄大な富士山にパワーをもらいAPECの緊張冷めやらぬ港町へ。

地下鉄の出口へと続く階段の途中、何回も何回も休憩しながら・・ハアハアしながらでも歩ける。
少食でも美味しいと感じて食べられる。
色づく木々が美しい街並みに見とれる。
あれもこれもと欲張った旅じゃないけれど、今を生きていると実感できる。


主人が荷物を持ってくれるから、カメラだけ持って歩く。
またがんばって前を向くために・・シャッターを押しながら歩く。






明日は温泉♪        (・e ・)


自分だけが辛いんじゃない



今朝、あるサイトをみた。


そのサイトは語りかけるような写真で溢れていた。



何ページもクリックしてるうちにやっぱり私は『写真が好き』なんだと気づいた。
こんな写真が撮りたい!と思った。
窓の外は朝日がキラキラと眩しく家の中にいるのがもったいないような良い天気。
気圧が安定している最近は体調も少しはいい。
 




洗濯物だけ干して、カメラを持って、出かけた。
自宅でゴロゴロしてたって副作用がなくなるわけじゃない。
辛い副作用よりも楽しいことを見つければ良い。
それは・・写真かもしれない。
シャッターを切っている瞬間は副作用なんて感じない。





明日は写真じゃないかもしれない。
心が感じるままに身体を寄り添わせる。
今楽しいと思う気持ちが大事で
心のままに生きていけばいい。





乳がんに罹患して乳房を失い、抗がん剤で髪を失い、卵巣機能も抑制され、女性らしさなんて少しもないけれど、心は失っていない。
一日でも遠い未来を自分らしく生きるために辛い副作用ともうまく共存していこうと思う。






辛いのは・・ひよこだけじゃないから。        (・e・)


真剣勝負
 


今日は血液検査。


腫瘍マーカーも含めた採血だった。


結果は一週間後。
TC6クール後の評価となる。
順調にマーカーが下がっていたなら今のTC治療を見直したい。
と思う反面、もしかしたらこのままTCを続けたらCRまでいけるんじゃないかな?なんて期待する気持ちもある。
副作用の辛さに悩みながらも抗がん剤の効果は副作用に勝る正作用をもたらす。
“肉を切らせて骨を断つ”



真剣勝負の・・命がけの・・共存だから、悩むんだよね。    (・e・)








<2008.9>

主治医に別室に呼ばれた。

「今日、ひよこさんが入院されていると聞きびっくりしました。上手くフォローできていると思います。僕も同じ治療をしたと思います」
と主治医不在のまま進められている現状の治療を肯定して下さった。

入院中も特に指示がなかったのでゼローダの服用を続けていた。
主治医が言う。
「ゼローダも抗がん剤です。細胞毒性も骨髄抑制もあります。そして放射線治療も骨髄抑制の可能性があるので抗がん剤は併用しないほうがいい。
ゼローダの服用は放射線治療が終わるまで中止します。今はリニアックの治療に専念して下さい。放射線を予定通り最後まで照射することがベストな治療だと思います」
その日からゼローダの服用を止めた。

リニアック8日目くらいから喉に違和感を覚えた。
喉というより食道が痛んだ。
お茶やお水や・・唾さえ飲み込む時に喉から食道にかけて痛みがあった。
飲み込む時にズキンと痛む。
すぐに食事をお粥食にしてもらったけれど、痛みは変わらず、飲み込むことが必死だった。
かろうじて水分の多いフルーツやアイスクリームは喉の通りが良く、家族に甘えて何度も差し入れをしてもらった。

当時高校2年生だった娘は毎日学校帰りに見舞ってくれた。
病状のことには一切触れることもなかった娘。
学校での出来事や、ひよこのいない家での些細な出来事を話して帰って行く。
きっと放射線治療をしている母の予後なんて知りたくもなっかったんだよね。
仕事帰りに毎日見舞ってくれた主人は、後になって言う。
「さすがにあの時は覚悟した。このまま入院が続いて退院なんて出来ないんじゃないか・・・って思っていた」


頚椎の上からと下から合わせて3グレイ。
3グレイ×10回


どうやら下半身麻痺は免れそうだった。


残酷
 



TVの国会中継を観て、一日過ごす。



夕暮れ時になると、ああ・・今日も何もできなかったな・・と過ぎた時間を想う。




                ベランダから見える西の空



今、自分は何をしたいんだろう?
何が出来るんだろう?


「がん再発」は・・やっぱり残酷。      (・e・)







<2008.9>

入院希望であることを伝えたその日の担当医は「気のせいじゃないですか」と言った医師だった。

「僕が主治医でいいですか?」
イヤとも言えず形だけの主治医だから・・と思い了解した。

病室に案内された。
4人部屋には形成外科の女性が二人・小児科の小学生男児が一人入院していた。
簡単な挨拶をしてベッド回りを整えた。
外科の患者であることだけオープンにして、廊下のネームプレートは空欄にしてもらった。


その日から毎日放射線治療が始まった。
治療といっても午前中に放射線科からの連絡を待って、ナースが迎えに来てくれて一緒にリニアック室まで歩いていく。
着替えて・・照射して・・着替えて・・10分もあれば終わる。
するとまたナースが迎えに来てくれて病室まで戻る。
主治医からは「外泊も外出も自由にしてもらっていいですから」と言われていた。

その10分間の治療以外にするべきことは何もなく、読書三昧の日が過ごせると思っていた。

スペースを仕切るカーテンが暗くて鬱陶しいと思いそのカーテンを開け放った。
そしたら向かいの同年代の女性もカーテンを開け・・話が弾んだ。
そのうち他の二人もカーテンを開け放ち楽しいおしゃべりが始まり、読書どころではなかった。
特に同年代の形成外科患者の女性は明るく楽しくポジティブで・・そんな彼女にとても救われた。
消灯時間を過ぎても話が弾んでナースからは「もう少し静かにお話して下さい」と注意された。
別のナースからは
「このお部屋は病室じゃなくて・・子供部屋みたいですね〜」と言われるくらいいつも笑い声がする明るい病室だった。

頚椎への照射が始まると不気味な痛みは消え、カラーを付け忘れることがよくあった。
タイミング悪く放射線科のDrに見つかってしまうこともあり
「調子がよさそうですね。でも起きている時は必ずカラーをして下さい。つけないなら横になるように」
と注意を受けた。
シャワーのときもカラーをした方がいいと言うナース。
すぐ近くの手洗いまで歩く時も注意される。
「もし後ろから突然押されたらどうするんですか?首が折れるかもしれませんよ」
と言ってその場でカラーを巻かれた。
ちょっとうるさすぎると思ったけれど、スタッフからは重病人として扱われ、ありがたいのか落ち込むべきなのか、複雑な気持ちだった。


入院5日目。本来の主治医が突然病室までいらっしゃった。



無気力な日々
 


副作用に悩まされる最近。


無気力に過ごす日々。


筋肉痛のような身体の痛み
倦怠感
味覚障害
浮腫
脱毛など

こんな症状が長期になってくると気持ちが塞いでくる。
何に対してもやる気が出ない。
鬱の初期症状に似ているかもしれない。
終わりの無い治療は先が見えない。




              ほったらかしのベランダ


毎日を大切にイキイキと・・って気持ちばかり焦って体がついていかない。
一日中・・何もしなくても日が暮れていく。



明日は良い天気だといいな。        (・e・)





<2008.9>

頚椎に転移があり、それはかなり進行している事実が発覚した。

痛みの原因がはっきりした。
「ほっておくと下半身麻痺になる可能性もありますよ」
と整形外科のDrに言われた言葉が耳から離れず、また自分の置かれた状況の厳しさが重かった。
選択の余地も無くすぐに放射線科を受診した。
放射線科で頚椎のCTを撮ったら予想以上に骨が溶けていると告げられ、当初の予定よりも広範囲に照射したほうが良いと言われた。

何が何だかわからなくて、もうDrの言われるままにするしかなかった。

首に巻かれたカラーのせいで車の運転も不自由で、毎日の通院は義父にお願いして病院まで送迎をしてもらうことにした。
最初に送ってもらった日、病院の正面玄関の車寄せで降ろしてもらった。
警備員の方が患者さんの乗車や降車のお手伝いをしていて、その警備員さんが当然のように助手席に乗っていた義母側のドアを開けようとした。
「いえいえ、私じゃありません」と義母。
後部座席からカラーを巻いたひよこが降りると、警備員が驚いた表情をした。
『イヤだな・・』と思った。

白髪の老人が患者だと思うことはすごく自然で当たり前なことだと思うけれど、そんな老人に送迎してもらわなければならない立場の自分が惨めで・・悔しかった。
気兼ねをしながら・・嫌な思いをして・・。
翌日、入院希望であることを看護師に伝えた。
あらゆることから解放されて治療だけに専念したかった。



主治医不在のまま入院・放射線治療が始まった。


ハレとケ
 


昨日は久しぶりに家族4人揃っての夕飯だった。


ちょっと奮発してすき焼きにした。


お肉の味のしみた野菜はきっと美味しいはずなのに、味が良くわからないひよこは何を食べても苦味を感じることが残念だった。

すき焼き鍋の底が見え始めた頃、今月の祝日である勤労感謝の日の話題になった。
「勤労感謝の日はその昔は何の日だったのかなぁ〜」
と主人が言う。
しばらくすると義父がゆっくりと答える。
「・・新嘗祭じゃないのかな・・・」
夢中でお肉をほおばっていた息子が興味を示した。
「それって・・ハレとケでいったらどっち?」
「・・・・・何?」
「だからハレとケでいうなら、どっちになるの?」
「ハレ・・と・・ケ・・?それって何?」
「えっ?ハレとケとか言わない?」

主人もひよこも顔を見合わせた。
お互い「はれとけ」の指す意味がわからなくて、息子がトンチンカンなことを言っているのか?それとも今時の若者言葉なのか?もう一度息子に聞きなおした。
「えっ?知らないの?ハレの日とかケの日とか言うじゃん」
「ハレの日・・・?ケの日・・・?」
ますますわからない。

近くにあるパソコンですぐに検索してみた。


【「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。

民俗学文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ)は儀礼年中行事などの「非日常」、(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。また、(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ(気枯れ)という。

ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、とは画然と区別した。】
                                     
                                    ウィキペディアより


「ふーん、そんな言葉が存在するんだ〜。初めて聞いたわ・・」
主人もひよこもそれまで“ハレとケ”なんて言葉を知らなかった。
まだ18年しか生きていない息子に聞かれたことに答えられなかった事実がショックな様子の主人。
勤労感謝の日(新嘗祭)がハレなのかケなのか結局わからないまま息子は「ごち!」と言ってその場を去っていった。



                                    穏やかな今日




ひよこはショックと言うより
そんな場に居られることがただ嬉しくて『まだまだ死ねない』と思った。 (・e・)