台風の影響が心配された今日。
強い風が吹くこともなく、息子の模擬試験も無事に行われた。
「暴風警報が出たら・・めんどくせーなぁ」
昨夜から心配していた息子。
実質、センタープレ試験を除いて最後になる今日・明日の模擬試験。
いつも帰宅時間の遅い彼も今日は試験を終えるとまっすぐに帰宅した。
久しぶりに家族揃っての夕食だった。
家族揃って・・と言っても、義父と主人と息子とひよこの4人だけの静かな食卓。
4人揃っているから献立は鍋にした。
鍋を挟んで座る息子を湯気越しに見ていると、ちょっと胸がキュンとする。
よほど空腹だったのか・・食べる!食べる!
パクパクと気持ちの良い食べっぷりの彼。
お腹がふくれると「ごち!」と言って自室へ戻っていく。
そんな彼の後姿を目で追っていた主人がポツリと言う。
「来年は・・あいつもいなくなっちゃうんだよな〜」
県外の大学進学を希望している彼は、目標に向かって今がんばっている。
本音を言えば自宅から通って欲しいと思う。
でも彼がそれを望んではいないのに強制することなんてできない。
手元においておきたい気持ちと好きにさせてやりたい気持ちとがせめぎ合う。
後悔しないように、たった一度きりの人生だから、自分の思うままに、納得できる選択をして欲しいと思う。
結局、彼の幸せがひよこの幸せでもある。
自分の余命があとどれだけ残っているのかはわからない。
でもきっと彼と一緒に暮らせるのもあと僅かかもしれない。
自分の治療のことで忙しくて今まであまり考えたことがなかった現実。
主人のつぶやいた一言がその現実を気づかせてくれた。
『あと・・5ヶ月しかない』
もう少しの間・・子育てを楽しもう。 (・e・)
<2008.6>
腫瘍マーカーが右肩上がりに上がってきた。
主治医から治療の変更が提案された。
それはホルモン剤の変更だった。抗エストロゲン剤であるトレミフェン(フェアストン)
造影CTの画像は予想されたとおり“増悪”だった。
不安な気持ちのままホルモン治療を続けるも毎月度測定していたマーカーは下がる気配もなく、検査の度に勢いを増して上がり続けた。
ホルモン治療の限界だった。
主治医からは化学療法へのシフトが提案された。
それは以前効果があったと思われるパクリタキセル、または比較的新しい薬と言われた経口抗がん剤ゼローダ。
脱毛が必須の副作用であるパクリタキセルはどうしても受け入れられなかった。前回の化学療法で脱毛して・・極度の鬱になって・・ようやく髪が生えそろい前向きになろうとしていた矢先だったから。
ひよこの沈みがちな精神状態を理解して下さっている主治医は脱毛の無いゼローダを勧めてくれた。
初めての経口抗がん剤ゼローダ。
すがるような気持ちで飲み始めた。飲み始めると少しムカムカした。でも嘔吐するほどでもなく食欲もあり、抗がん剤とは思えないほど飲みやすい薬だった。
日常生活は、相変わらず姉の家に毎日出かけて行って・・姪のベッドで横になっていた。
ラジオを聴いたり、読書をしたり、布草履を編んだり・・姪の部屋でそんな時間を潰すひよこを不憫に思っていたに違いない姉。
「何か夢中になれることが見つかるといいのにね・・」と生きがいを見失って方向性の定まらないひよこの様子を心配してくれた。
今の状況では何の進歩も成長もなく、残された時間を無駄に過ごしていることは十分わかっていた。それでも何をしたらいいのかわからずに、どんな風に生きていけばいいのか・・答えが見つからず悶々と悩む時間を過ごしていた日々。
そんな頃、気になることがあった。
ただ寝ているだけなのに腰に痛みを感じることが頻繁にあった。
それと異常な肩こりというか・・首筋がとても痛かった。かつて経験したことがないような表現し難い特殊な痛み。
その痛みも継続的なものではなく、我慢できてしまうレベルの痛みだった。
定期的に検査していた造影CTでは、肝転移巣の増悪はなく・・それなのにマーカーの上がり方は相変わらず勢いが止まらなかった。
2年ほど検査していなかった骨シンチグラフィで骨を調べたら転移が疑われる箇所が数箇所見つかった。X線・MRI検査が追加され骨転移と確定診断された。
頚椎・胸椎・腰椎への多発骨転移。
肝臓も・・骨も・・・全身転移の恐怖で体が震えた。