2005年右乳房全摘、局所再発・多発肝転移・多発骨転移・胸膜播種転移治療日記。

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息子
 


台風の影響が心配された今日。


強い風が吹くこともなく、息子の模擬試験も無事に行われた。





「暴風警報が出たら・・めんどくせーなぁ」
昨夜から心配していた息子。
実質、センタープレ試験を除いて最後になる今日・明日の模擬試験。
いつも帰宅時間の遅い彼も今日は試験を終えるとまっすぐに帰宅した。
久しぶりに家族揃っての夕食だった。
家族揃って・・と言っても、義父と主人と息子とひよこの4人だけの静かな食卓。

4人揃っているから献立は鍋にした。
鍋を挟んで座る息子を湯気越しに見ていると、ちょっと胸がキュンとする。
よほど空腹だったのか・・食べる!食べる!
パクパクと気持ちの良い食べっぷりの彼。

お腹がふくれると「ごち!」と言って自室へ戻っていく。
そんな彼の後姿を目で追っていた主人がポツリと言う。
「来年は・・あいつもいなくなっちゃうんだよな〜」

県外の大学進学を希望している彼は、目標に向かって今がんばっている。
本音を言えば自宅から通って欲しいと思う。
でも彼がそれを望んではいないのに強制することなんてできない。
手元においておきたい気持ちと好きにさせてやりたい気持ちとがせめぎ合う。
後悔しないように、たった一度きりの人生だから、自分の思うままに、納得できる選択をして欲しいと思う。
結局、彼の幸せがひよこの幸せでもある。

自分の余命があとどれだけ残っているのかはわからない。
でもきっと彼と一緒に暮らせるのもあと僅かかもしれない。
自分の治療のことで忙しくて今まであまり考えたことがなかった現実。
主人のつぶやいた一言がその現実を気づかせてくれた。

『あと・・5ヶ月しかない』




もう少しの間・・子育てを楽しもう。    (・e・)








<2008.6>

腫瘍マーカーが右肩上がりに上がってきた。


主治医から治療の変更が提案された。
それはホルモン剤の変更だった。抗エストロゲン剤であるトレミフェン(フェアストン)
造影CTの画像は予想されたとおり“増悪”だった。
不安な気持ちのままホルモン治療を続けるも毎月度測定していたマーカーは下がる気配もなく、検査の度に勢いを増して上がり続けた。

ホルモン治療の限界だった。
主治医からは化学療法へのシフトが提案された。
それは以前効果があったと思われるパクリタキセル、または比較的新しい薬と言われた経口抗がん剤ゼローダ。
脱毛が必須の副作用であるパクリタキセルはどうしても受け入れられなかった。前回の化学療法で脱毛して・・極度の鬱になって・・ようやく髪が生えそろい前向きになろうとしていた矢先だったから。
ひよこの沈みがちな精神状態を理解して下さっている主治医は脱毛の無いゼローダを勧めてくれた。

初めての経口抗がん剤ゼローダ。
すがるような気持ちで飲み始めた。飲み始めると少しムカムカした。でも嘔吐するほどでもなく食欲もあり、抗がん剤とは思えないほど飲みやすい薬だった。

日常生活は、相変わらず姉の家に毎日出かけて行って・・姪のベッドで横になっていた。
ラジオを聴いたり、読書をしたり、布草履を編んだり・・姪の部屋でそんな時間を潰すひよこを不憫に思っていたに違いない姉。
「何か夢中になれることが見つかるといいのにね・・」と生きがいを見失って方向性の定まらないひよこの様子を心配してくれた。
今の状況では何の進歩も成長もなく、残された時間を無駄に過ごしていることは十分わかっていた。それでも何をしたらいいのかわからずに、どんな風に生きていけばいいのか・・答えが見つからず悶々と悩む時間を過ごしていた日々。

そんな頃、気になることがあった。
ただ寝ているだけなのに腰に痛みを感じることが頻繁にあった。
それと異常な肩こりというか・・首筋がとても痛かった。かつて経験したことがないような表現し難い特殊な痛み。
その痛みも継続的なものではなく、我慢できてしまうレベルの痛みだった。

定期的に検査していた造影CTでは、肝転移巣の増悪はなく・・それなのにマーカーの上がり方は相変わらず勢いが止まらなかった。
2年ほど検査していなかった骨シンチグラフィで骨を調べたら転移が疑われる箇所が数箇所見つかった。X線・MRI検査が追加され骨転移と確定診断された。
頚椎・胸椎・腰椎への多発骨転移。



肝臓も・・骨も・・・全身転移の恐怖で体が震えた。


心で生きる
 


今週の火曜日に採血した検査結果が出た。


CA15−3   60.4





TC治療を始める前は200を超えていたマーカー値。
1クール終えた後、少しは勢いが衰えた風だったけれど・・それでもまだ微増していたCA15−3。
4クール後のマーカー値は半減という・・期待以上の結果だった。
それまで1年以上も上がり続けていたマーカー値、ナベルビンでもジェムザールでも下がらなかったマーカー値がようやく下がった。
そのときは微かな手応えを感じていた。
そしてTC5クールを終えて、さらに半減したマーカーCA15−3。
TC治療が奏功していると確信した。

タキソテールとエンドキサンの併用療法は副作用がなかなかキツイと思う。
エンドレスな闘病生活を過ごす日々で体が辛いことは生活の質を下げる。
“がん”と共存するというモチベーションも下がる。
あまりにも副作用が辛いと治療から逃げたくなる。
TC治療も『もう・・止めたい』と何度も思った。
でも喉もと過ぎれば・・・じゃないけれど、新しいクールに入る頃には体調も安定してきて『もう1クールだけ・・がんばろう』と思えるまで心と体が回復してくる。

そんな風に葛藤しながら続けてきたTC治療。
今日のようなマーカー結果として効果が確認できると本当に嬉しい。
辛い治療の励みになる。
またがんばれる。

副作用で髪が抜けることは哀しいけれど、現実にマーカー値がどんどん下がって・・肝臓の画像も縮小してくれるのなら、髪なんてどうでもいいと思える。
命と向き合うのに髪があるか無いかなんてたいした問題ではないと思えるようになった。
少しはがん患者として成長した?ということかな・・!?



先日雑誌をめくっていたら目に留まった言葉があった。

◆「大切なのは心で生きることです」
  心に形はありません。
  固く閉ざすのも無限に広げていくのも心の持ち方です。
  どんな人にも役割があります。人生はそれを知る旅です。
  働く喜びを見つけ今を大切に生きていけば死は怖くありません◆




 

髪が無くても・・体が浮腫んでも・・手足が痺れても・・

今を生きる心がある。    (・e・)


気分転換



庭にアケビの木が植えてある。


義父が植えたアケビ。 昨年は実が生ったのに今年はどういうわけか一つも実がつかない。





2週間ほど前、庭師さんが手入れに来た時アケビのつるを刈った。残念なことにそのつるはブツブツに刈られていてつる細工を楽しもうと思っていたひよこの密かな楽しみを奪われてしまった。
そんなことがあってテンションも上がらずに今日までそのまま放置してあったアケビのつる。
何もすることもなく・・出掛けるところもなく・・しかたなく・・つるをどうしようかな〜と手にとってみた。





短くなってしまったつるでは籠を編むのは難しそうで・・・リースのように丸めてみた。
これならなんとかなりそうな気がして、小さなリースを作ってみた。
直径10cm〜20cmくらいのリースがいくつか出来上がった。
長い間放置してしまったため、細いつるは乾燥してしまい上手くためが効かなかったりしたけれど、夢中で作業した時間はそれなりに楽しかった。

生きがいというには情けないような時間だけれど、闘病生活を続ける日々の良い気分転換ができたんじゃないかなと思う。







このリース・・クリスマス用にアレンジしてみようかな?          (・e・)









再発後のホルモン治療中、胸壁にでき始めた小さなブツブツは消えることはなかった。

肝臓の転移巣も消えることなく、定期的な造影CT画像にもしっかり写っていた。
でもそれはすぐに命を脅かすほどの大きさではなく1cm程度の影だった。
『このままホルモン治療で維持できたらいいのになぁ』
腫瘍マーカーCA15−3も基準値ぎりぎりのところで上がったり・・下がったり・・。
アロマターゼ阻害剤(アリミデックス)とLH−RHアゴニスト製剤(ゾラデックス)の治療を続けた。

2008年になって最初の血液検査でCA15ー3が基準値(25)を超えた。
造影CTの画像で確認すると「増大傾向にあり影もより鮮明になっている」と指摘があった。
主治医は「今のままホルモン治療を続けましょう。肝臓はしっかりした臓器です。慌てずに・・治療しましょう」と言う。

3月になり胸壁のしこりの一つがだんだんと大きくなってきた。
さわってみるとグリグリした感触で硬かった。
『これが“がん”なんだ』
不気味なそのしこりの感触は今でも忘れられない。

娘は高校2年生、息子は高校1年生になっていた。
お弁当作りも大変だったけれど、作って持たせることができる・・そんな当たり前のことが嬉しかった。
母親としてできる事を精一杯楽しもうと思った。
そして闘病中の母親が作る・・手抜きのようなお弁当を、文句も言わず毎日残さずに食べてくれた二人の子供たち。
せめて二人が高校を卒業するまでは元気でいたいと願った。



6月になって腫瘍マーカーがさらに上がり、治療が変更になった。


通院
 


今日は血液検査のため通院。


白血球 6700


G−CSF注射を打ってから1週間。
今日の白血球はいつもよりも多い。これまでは3000〜40000くらいだった。
ちょっと体調に変化が起きてきたのかもしれない?
体質改善の効果か・・・単なる偶然か?

今週末には腫瘍マーカーの検査結果も出るはず。
CA15−3・・せめて二桁になっていると嬉しい。

TC治療も5クールが終わり、抗がん剤が蓄積されたせいか今ちょっと体が辛い。
自分の体が思うようにならないからついイライラもしてくる。
そんな自分がイヤになる。
終わりの見えない治療が悲しい。





ちょっと、疲れてるのかも・・・           (・e・)



オンコロジストの講演会




腫瘍内科の第一人者とも言われている浜松オンコロジーセンター センター長でいらっしゃる渡辺亨先生の講演会に参加した。


 
歯切れのいい物言いと聴衆を笑わせる語りのテクニックは聞いていて心地がいい。





演題は「再発したって怖くない」ー乳がん治療の最前線ー
東海乳がんフォーラムと某製薬会社主催の講演会。
これまで講演会ではあまり取り上げられることのないテーマではないだろうか?
乳がんを患ったお姉様を看取った先生なればこそはのテーマだったかもしれない。

副作用のきつい抗がん剤治療について
「患者さんには『治療が終われば、また生えてきますから』と言っていたけれど、現実に髪が抜けてふらふらしながら闘病している姉を間近に見ると何とも言えず・・せつなかった」
とおっしゃっていた。
やはり“がん”という悪性新生物と闘う大変さ・・いわゆる闘病・・は患者本人または支える家族にしか理解できないと思う。
再発・転移となればさらに厳しい。

想像の範囲でしかない立場で、あまり軽々しく「再発したって怖くない」なんて言わないで欲しい。

会の始まりに挨拶をされたDrはこんなことをおっしゃっていた。
最近の講演会にはご夫婦(カップル)で参加される方が目立ってきた。家族が講演会に積極的に参加される傾向はとても有難いことだ。
残念ながら再発をしてしまった患者さんが闘病を続けるということはとても大変なことだと思う。
患者さんを支える温かい家族の応援がなければやっていかれないんじゃないか・・・。
とても患者よりの話しに嬉しくなった。
そのDrはひよこが初めてとったセカンドオピニオンのDrだった。

最近になって講演会にも一人で参加できるようになったし、参加した講演会で質問もできるようになったけれど、乳がんに罹患してすぐの頃は主人の同伴なくては行かれなかった。
怖くて・・不安で・・寂しくて・・傍に誰か居て欲しかった。
患者はいつも孤独感でいっぱいだから・・・。
再発してからは可能な限りなるべく多くの講演会に参加してきた。でも参加すればするほど、得られるものが無いことを学んだ。
新しい治療法や新しい薬、希望の持てる症例などひよこが求める情報がそこには無かった。そんなことに気づいてからは講演会には興味がなくなった。
でも渡辺先生の講演会は演題に惹かれて参加した。

温泉の効能やまことしやかに言われている代替療法などを何の科学的根拠も無い!と切り捨てていらしたけれど、効果が無いという科学的根拠も無い。偶然かもしれないけれど、効果がある場合もあるかもしれない。ひよこをふくめ科学では証明できない何かがあると信じている人もいる。希望をもってあらゆる可能性を求めてみたい。




再発しても、乳がんは使える薬がたくさんあるからあきらめずにがんばりましょう!と勇気づけて下さったが、ひよことしては“体質改善”もぜひ闘病の柱として位置づけて頂きたかった。 (・e・)



乳がんリスクを軽減する習慣
 


◆特定の“乳房に健康的な”生活習慣を維持する女性は、近親者に乳癌(がん)患者がいる場合であっても乳癌リスクを軽減できることが、新しい研究で明らかにされた。「定期的に運動をする、正常な体重を維持する、アルコールの摂取を適量に抑えるという3つの習慣を維持している閉経後の女性は、家族歴の有無にかかわらず乳癌リスクが低かった」と、研究を率いた米ロチェスター大学メディカルセンター(ニューヨーク)家庭医学准教授のRobert Gramling博士は述べている。この研究は、医学誌「Breast Cancer Research(乳癌研究)」10月12日号に掲載された◆





毎日インターネットで受信している医療ニュースの今日の話題。





◆この研究によって、母や姉妹が乳癌になった女性が自分自身も乳癌になる運命にあるという思い込みを覆すことを期待している。◆


乳がんに罹患してから誰も言えなかった不安というかあきらめというか、やるせない想い。
それは娘に対して自分が罹患してしまったという申し訳ない気持ち・・罪悪感にも似た想いだった。
がんは遺伝子の病気とも言われている。
乳がんに罹患してしまったひよこと同じ遺伝子を持っている娘。
まだ19歳の娘。
この先ずーっと乳がんに怯えて生きていくことになるのか・・と思うと、胸をえぐられるような気持ちになる。
今日まで、いずれ・・娘が乳がんに罹患する日が来てもしかたがないとあきらめていた。
そんな日が来るとしたら、早期発見であることを願っていた。

でも今日のニュースに救われた。
娘が乳がんに罹患するリスクは自分自身の生活習慣により軽減できるらしい。
自分の体は自分で守ることができる。
乳がんになる運命は変えられる。

逆に言えばひよこが罹患してしまったのは、不健康な生活習慣が原因だったのかも。
母方にも父方にも乳がんの罹患歴のある人は誰もいない。
ストレスを上手く解消できずに溜め込み・・有酸素運動など何もしていなかった生活。
今思えば病気になってもおかしくないような日々だった。

今頃後悔しても・・何も変わらない。



                 晩秋になって、ますます色鮮やかに咲くジニア



後悔するより、明日の運命を変えるために体質改善かな!     (・e・)



食もて癒せぬ病は、医もまた癒せず
 


体質改善プロジェクトなどと大げさに公約してから10日ほど過ぎた。



誰でも可能な簡単な食事療法を始めた。



食事療法なんて言えるほどでもないけれど・・・。
巷にはあらゆる食品が溢れている。
それらはお金を払えばたいていの物は手に入る。
今までは食欲に任せて食品を選んでいた。
『がんに効く生活』を読んでからは少し考えるようになった。
自分のからだは自分で守ろう・・と思うようになったら買い物かごの中身が変わってきた。

牛乳は豆乳に。
ヨーグルトは無脂肪に。
納豆・きのこ類は毎日定番。
少しの果物とお肉。

家族には当然不満もあるだろうに、今のところクレームは無い。
義父は何も言わずに毎日残さず食べてくれる。
主人も「ヘルシーでいいね〜」と言って(不本意かもしれないけれど)応援してくれる。
息子は・・・遅くに帰宅して疲れきった表情で掻き込むように食べる。味わう余裕もないという感じの毎日。そしてそんな夜食?も残すことが多い最近の彼。
お腹が一杯になっちゃうと思考が鈍くなるのだとか・・・?
だからお昼のお弁当にお肉をたっぷり入れるようにしている。





ちなみに昨日の夕食。
蒸し鶏・サバの竜田揚げ・お粥スープ





お粥スープは、蒸し鶏の茹で汁で豆腐とキャベツをくたくたに煮込んでみた。

そして甘いものを・・少し。





京都土産のマカロン♪


毒にも薬にもなりえる食品の数々。
“がん”と闘えるからだをつくるために、デトックスして有害物質から身を守り、がん細胞の成長を抑制する効果のある食物を摂取するようにしたい。


【がんは慢性病の代表である。腫瘍の検査や治療の技術ばかりに力を注ぎながらがんを抑制するのは難しい。やはりここでも体質を根本的に改善することが必要となる。世界がん研究基金による2007年の報告でも、食事療法や運動など、体の防衛メカニズムを強化するアプローチ法は、予防の効果的な方法であると同時に、治療への大きな貢献にもなると強調している。自然なプロセスに頼るものなので、もはや予防と治療の境界もなくなる。一方では、私たち誰もが体にもっている微小腫瘍が成長するのを防ぎ(予防)、他方では、外科手術や化学療法や放射線治療の効果を広げてくれる(治療)】             
                           〜がんに効く生活より〜


今の治療効果を最大限に高めたい。         (・e・)


患者と主治医の絆
 


木々の緑がひと雨ごとに色づき秋が一気に深まっていく。


見慣れた病院の景色も気づけば秋色。





車を降りてひんやりとした風を感じながら歩いていると、あんなに暑かった夏の記憶も忘れてしまう。
春にはやさしい花を楽しませてくれたハナミズキ。
秋には温かい葉色とかわいらしい実で再び楽しませてくれる。
みごとなカエデの単色の紅葉よりも、赤らんだり黄ばんだりするハナミズキや桜はなんだか艶っぽい。





桜紅葉。
目の覚めるような紅葉ではないけれど、地味にひっそりと紅葉する様は庶民的で親近感さえ覚える。
花の頃にも劣らぬ存在感にますます桜が好きになる。


今日はフルウィッグ・帽子なし・・というスタイルで通院した。
中待合で待つ間、いつもなら何人かの親しいナースと挨拶を交わす。
でも今日は誰一人ひよこに気づく気配がない・・・?
名前を呼ばれて診察室へ入ると
「あれっ〜!今日は雰囲気が違いますね〜。ひよこさんだとは気がつきませんでした!」
と言う声に反応してもう一人ナースが顔を出す。
「なかなか・・いい感じですね〜♪」
とよいしょしてくれる。
「そうだよね。いつも帽子被ってるから・・今日はなんか別の人みたいですよね」
とDrも声をそろえておっしゃる。

診察もそっちのけでナースたちとの話が弾んで・・診察室に大きな笑い声が響いた。
隣の診察室のDrが驚いた様子で顔を出したのには・・こちらがビックリした。
ひよこがこれまでにイメージしていた末期がん患者の診察風景とはあまりにギャップのある一コマ。
こんな空気に浸るまでには、計り知れない時間と孤独に押しつぶされそうなエネルギーが必要だった。
患者と主治医との「絆」はそう簡単には結えるものではない。
人としてお互いを尊重しあってこそ生まれる信頼。
いつわりのない心で生きる誠実。
24時間体制のフォローが約束される安心。
納得できる・・満足できる・・治療がうけられるようになるまで・・5年。

ようやく二人三脚できると思った主治医。
そんな主治医が退職されると聞き動揺しているこの頃。
“永遠”なんてやっぱりありえないんだ・・・。
経過をずーっと診て頂いていたDrがいなくなる。






再びの「絆」を結ぶエネルギーはもう残っていない。     (・e・)


通院
 


5thTCから1週間。


今日は、血液検査と診察。







白血球 900   

予想されていた数値にDrもひよこも驚くことなく、いつものようにG−CSF注射がオーダーされた。
体調としては今日は「まあまあ」かな。
白血球の数値だけを聞くと大丈夫?と心配になるような値だけれど、案外大丈夫。
今日よりも2.3日前はもっと体調が悪かったから。

ドセタキセルの副作用でもある骨髄抑制は、投与後10日〜12日位が一番低くなることが一般的といわれているが、ひよこの場合は底がそれよりも早いみたいな気がする。
毎日血液検査をすることは意味もなく非現実的なのではっきりしたことは不明だけれど、自分自身の体調から判断すると合点がいく。

それにしても、体調が上向き加減と感じる今日が通院日であることは有難い。
この調子なら明日、明後日と連続の通院も無理せず通うことができそうだ。





今日、主治医に“体質改善宣言”をしてみた。
わざわざ言うほどのことでもないけれど、意志薄弱なひよこの“外堀を埋める作戦”とでも言おうか・・。
主治医にとっては何ら興味の無い事かもしれないけれど
「からだにはとても良いことですね」
と応援してくれる口ぶりに
『絶対に良い結果に繋げてみせる』みたいな根拠のない自信がみなぎってきた。

今日の血液検査の結果にも表れているんじゃないのかな?なんて思うのは見込み違いか?
白血球も好中球もいつもより微妙に多いことにDrは気づいていらっしゃるだろうか?
それとも単なる偶然の誤差か?





【「がんになったのは自分のせいだ」などと自分を責める必要はない。だが誰でも、がんと診断されたら、生き方を変えることはできる。また、そうすることが回復につながる可能性は高い。】
                                                             
                           〜がんに効く生活より〜


体質改善は始まったばかり。 あせらない・・あせらない・・。        (・e・)



イライラする
 


今朝、高校3年生の息子が起きてこない。


5分おきに声をかけたのに起きてこない。



                             最近また活気づいてきたベランダ


お弁当を作って、洗い物を終えて・・・彼の部屋を覗くと、まだ寝ている。

「調子悪いの?」
「うん・・・」
「どんな風に悪いわけ?」
「・・・だるい・・・」

何故か素直に彼を気遣うことができず
「車で送ってあげるから、支度して!」
と言っても起きる素振りもない。

確かに連日夜遅くまで受験勉強をしている様子は知っている。
つい昨日もそんな生活を心配して、無理をしないように、と言ったばかりだった。
でも、親としては“学校を休む”ことが何故か許せない。
熱が高いわけでもなく、酷い風邪を引いているわけでもなく、“甘え”じゃないの?と思ってしまう。

しかも月曜日の朝なんて、誰だって“だるい”
“だるいから休む”なんて言語道断。
息子の・・彼の・・甘さに、イライラする。
もしかしたら本当に動けない程だるいのかもしれない。
それでも登校する努力をして欲しい。
そして、どうしても辛ければ早退したらいいのに。

彼にイライラするのは今日のことばかりではない。
最近の日常生活においても然り。
夜遅く帰ってくる彼は最後に一人で食事をする。
お風呂に入るのも最後。
先に休んでしまうひよこは彼にいろんなことをお願いしておく。
それは至って簡単なこと。

門燈を切る。
食器乾燥機のスイッチを入れる。
廊下の電気を切る。
お風呂の窓を開けておく。

など・・本当に簡単なことで、小学生だってできるようなことが、できていない。
だからイライラする。
難しい英単語や数式を覚えるよりも大切なことじゃないの?と思っている。
家族が気持ちよく暮らすためのちょっとした気遣い。
そんなことができないばかりか、自分の健康管理すらできていない。
そんな基本的なことができないようでは、受験に成功するとはとても思えない。

そんな彼に育ててしまったのはひよこ自身の責任でもある。
ことに乳がんが再発してからは、彼に対して細かいことは言わないようにしている。
それは・・あとどれだけ残っているかわからない彼との時間を殺伐とした雰囲気にしたくなかったから。
少しでも彼と穏やかな時間を共有したいから。
そんな想いが逆に彼をダメにしてしまっているのかもしれない。






志高く志望校目指して奮闘している彼。
でも・・・何か・・・空回りしてる感じ。

それも彼の人生なのかな?           (・e・)