2005年右乳房全摘、局所再発・多発肝転移・多発骨転移・胸膜播種転移治療日記。

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祥月命日

 このブログを忘れずに訪れて下さる皆様、偶然訪れて下さった方々

 

 暑中お見舞い申し上げます。

 暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

 毎年のことですが、7月になると気分がすぐれません。

 

 昨年コメントを寄せていただいた「通りすがり」のお方へ

  与えられた境遇を、どのように乗り越えられていらっしゃるのか。

  お時間がありましたら、お教え下さい。

 

 

祥月命日

 四度目の祥月命日。

 去年と同じように、墓前に花を供えた。

 娘は、遊びに出かけている。

 息子は、東京で仕事。特に連絡はない。

 子にとって、親の死は自然の摂理なのだろう。

 それとも、敢えて触れないようにしているのか。

 

祥月命日
 7月18日、今日は、祥月命日。
 久しぶりに、墓前に花を供えた。
 就職した子どもたちの現況を報告した。

 悲しいことだが、妻のいない生活にも随分慣れた。
 少しずつ遺品の整理も始めている。
 
 時が経つのは、本当に早いものです。
 
三回忌
 今年も7月になってしまった。
 一昨日、三回忌の法要を無事終えた。
 まもなく、祥月命日。
 仏壇と墓前に、妻の好きだった果物を供える。

 

まこ様へ
 先回の更新以降、ブログを開くことはありませんでした。
 メールで、まこ様のコメントが寄せられたことを知り、
久しぶりに開いてみました。
 妻の命日のことを気に掛けて下さり、ありがとうございます。
 まこ様の境遇の詳細は存じ上げませんが、前を見てがんばり
ましょう。
 もう少し落ち着いたら、書きかけのブログを完結させる予定です。
 暑さ厳しき折、まこ様も、お体ご自愛下さい。
 
月命日

 闘病記の完結を目標に始めた更新でしたが、様々な理由でこのブログを開かない日が続いておりました。
 仕事に一区切りがつき、帰宅後の時間にゆとりが持てるようになったこともあり、久しぶりにブログを開くと、昨日のアクセスログに、1000を超えるアクセス数が記録されておりました。延べ数なので、閲覧者の実数は不明ですが、それでも日に何人かの方々が未だに閲覧しておられるかと思うと、このブログを残しておこうという気持ちにさせられます。

 先日、シンガーの「明日香」さんが亡くなられたことを知りました。愛知県出身、家内と同じ年、病状も肝転移・脳転移と共通点が多く、いろいろなことを考えさせられました。わかっているつもりでしたが、世の中には、多くの方々が病で苦しんでおられることを再認識しました。そして、少なくとも身体は健康である自分を、幸せに思わなければいけないと。

 多くの方々が、家内にコメントをよせてくださいました。どれも心温かいコメントばかりでしたが、2012.2.10のk-nakajimaさんのコメントには心を動かされました。闘病されている方々、自分のために、家族のために心を強くしてください。
 
 
 
  

まこ様へ
 暑中お見舞い申し上げます。
 ここ愛知は、連日の猛暑です。
 まこ様は、いかがお過ごしでしょうか。

 コメントをいただきありがとうございます。
 ご推察の通り、先日一周忌の法要を子どもた
ちと済ませました。
 そして、明日が妻の命日です。

 闘病記を完結させようと思っておりましたが、
辛い状況を綴ることに疲れ、現在に至っており
ます。
 
            
 心の痛みは     
「よくわからない」  
というのが本音です。
 
                                  
 あると言えばある、無いと言えば無い。
 鬱になることもなく、心身を喪失することも
なく、しかし、「生活のハリ」はありません。

 
 
 
 妻のことを未だに想っていてくださり、本当
にありがとうございます。
 

 明日、墓前にコメントをいただいたことを報
告いたします。
    
平成24年1月 
 1月21日

 東京へ行く。
 家内は、子どもたちから電話が入ったときから、上京することを決めていたのだと思う。

 名古屋駅からのぞみに乗り、品川へ。そして、息子に会うためにT駅へ向かった。彼は、私たちの姿を見つけると、やや驚いていた。まさか、母親が一緒に来れるとは思っていなかったようだ。用を済ますと、彼は大学へ向かった。息子の後ろ姿をじっと見つめる家内であった。
 その後、娘と会うために新宿へ向かう。お昼時だったので、3人で昼食を摂った。彼女は「おいしい蕎麦屋さんがあるから」と、私たちの好物をごちそうしてくれた。

 すべての用を済ますと、午後3時を少し過ぎていた。東京駅へ向かおうとすると、銀座へ寄りたいとつぶやいた。2010年2月に、セカンドオピニオンのために、家内は東京へ行っている。そのとき、ブログを介して知り合った方々と銀座でお会いしている。皆同じ病気と闘っている方々である。その時のことを思い出したのであろう。

 2010.2.15日付けのフォルダにそのときの写真が残っている。銀座の風景に混ざって、2枚の集合写真がある。その写真には、家内も含め5人の姿が写っている。皆さん優しい笑顔である。
平成24年1月 

120

 一緒に子供たちに会いに行くか、随分悩んだ。体調はほんの少しずつではあるが良い方向へ向かっていた。この機会を逃したら、もう二度と東京へは行けないかもしれない。しかし、遠出をすることは、無謀とも思われた。上京する日は、121日と決めてあった。
 当日の朝、決断することにした。

 
平成24年1月 

11

  家族揃って朝食をとる。外泊、朝寝坊の子供たちなので、久しぶりの家族揃っての朝食であった。

 

13

 いつになく調子が良さそうだったので、近所の神社に初詣に出かけた。久しぶりの自然の中の空気は良い刺激となったようである。その足で、買い物にも行くことができた。イチゴを買った。

 

15

 帰省していた子供たちを駅まで送る。お気に入りだった蕎麦店でかけそばを食べる。体調が少しずつだが、好転している感じがした。

 

17

 調子が良さそうだったので、夕飯の買い物に誘ってみた。少しためらっていたが、意を決し出かけることになった。一緒に買い物ができる、当たり前のことが、こんなにもうれしいことなのか、としみじみ思った。もちろん、お気に入りのイチゴをたくさん買った。

 

114

 子供から電話が入る。ちょっとしたトラブルが発生し、どうしても上京しなければならなくなった。




 
平成23年12月 
 


12
27

この年最後の通院日だった。医師に一年間のお礼をし、ゾメタの点滴をした。午後、娘が帰省した。娘の元気な姿を見て、笑顔がこぼれた。

 


12
29

息子が帰省する。家族が揃い、久しぶりに賑やかな時間となった。

 


12
31

我慢しているのか、子供たちに会って安心したのか、この数日は、頭痛・吐き気はおさまっていた。

9月以降、辛い状況が続いていたが、何とか2011年を乗り越えることができた。